太陽が傾き始めると、聞こえてくる彼の足音。
カツカツとブーツの踵をリノリウムの床にぶつけながら、櫻の木が良く見えるこの白い部屋へと向かってくる。
もう幾日、それを聞いてきただろうか?
今ではそれを耳にした瞬間、その音の持ち主のその日の気分まで分かるようになってしまった。
ああ、ほら。今日はすこぶる機嫌が良いらしい。

『どうなのよ、調子は。』

俺の居るこの白い部屋の中へ滑り込んで来るなり、靴音の主、彼は窓辺へ向かい、外の景色を見ながら俺に声をかけてくる。
昨日も同じ事訊いたじゃない、とは口にはせず、俺は少し微笑んで体調が悪くないことを示す。
ここには彼以外は来ない。
来て欲しいと思わないわけではないのだが、こんな自分を見せたくなかっただけで、ついうっかり、来ないで欲しいと口にしてしまった。
それでも三日とあけずにここに通ってくる彼を見ていると、ふと思う時がある。

「ねぇ……皆、どうしてる?」

そんな風に訊いてしまう自分を恥ずかしく思う一方、

「元気にやってるんじゃない?」

まるで他人事のようにボソリと呟き、その後に

「気になるなら、あいつらにも来て貰えば良いじゃない?」

ひゃっひゃっひゃっ、と彼特有の笑い声が聴ける楽しみを大切にしたいと思っている自分もいた。
二人でいても、大して会話があるわけでもなく、窓の外に見える櫻吹雪を眺めている。
そんな時決まって彼の手は、点滴やら注射のせいで痣だらけになってしまった俺の腕を、指先でなぞるように撫でていた。


「どうもありがとう。また来年会いましょう。」

右腕を高く掲げ、手を軽く左右に振りながら、キラキラした眼を持つ女の子たちにステージの上からそう告げた日から、もう随分経ってしまった。
窓から見える櫻の木が、今年も吹雪始めている。
ここに居る間に始まったアルバムのレコーディングも、俺の歌入れを残すばかりになってしまい、ここを出たらすぐにスタジオ入りが出来るように、新曲を口ずさむ俺に

「録音機材、持ち込むか?」

と、また、ひゃっひゃっひゃっと笑ってくれている彼が居た。


それは突然やって来たと言うより、何となく予感があったにはあった。
前日の昼過ぎから耳鳴りが始まっていて、彼の笑い声がまるで古ぼけたラジオから流れている音声のように色褪せて聴こえていた。
そして、翌日の目覚めは無音の世界から始まった。

ベッドの隅に腰かけて、正しいかどうかも分からない歌を口ずさんでいた。
何度も何度も同じフレーズを繰り返したけれど、何も聴こえては来ない。
窓の外には、桜吹雪。
ふと、思う。
もう彼の声も聞こえないのだろうか、と。
そう思った時、何故だか胸の奥が苦しくなり、喉の奥が締め付けられた。
随分下がってしまった体温。
なのに涙はとても温かく、唯一生きている証のような気がした。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
自分の体に絡み付く腕が二本。そして頬をくすぐる長い髪。
あぁ、来てくれたんだね。彼が俺を背中から抱き締めていた。

「久しぶりだね。」
―――あぁ、やはり音が聞こえないよ。

昔、PV撮影で彼の腕に抱かれたことがあった。
仄かな気持ちが邪魔をして、彼と二人して笑ってしまい、何度もNGを出し、メンバーからの失笑の的になったことを思い出した。

『なぁ…覚えてる?お前の部屋で過ごした時間。』
―――あの頃から俺は……

『まぁ、忘れないわな、フツー。』
―――何て言ったの?

『楽しかったなあ…。』
―――お前の声が聞きたい……。

『だな。』
―――もう、疲れたよ……

『今は…二人きりだね…。』
―――もう、目を開けていられないんだ……

『だな。』
―――最期に……

それから俺の体は、目覚めることを止めてしまった。


ただ眠る。
眠ったように見えている。
俺は、もう動かない。
今頃は、部屋の窓から見える桜がまるで死を飾るように最後の花弁を散らせているだろう。
それすらも見ることは叶わない。
もう良いだろう。
俺の最期の望みが叶う日は来ない。

だが、それは最後に訪れた。
俺の体に無限とも思われるほど取り付けられていた器具が一つずつはずされていったその日。
彼の気配を体に感じながら、呼吸を助ける器具が外される。
少しずつ意識が遠退いていく。死が近づく。その時。
ベッドが揺れ、俺の頭を軽々と持ち上げ、細く長い腕をそこに出来た隙間に差し込んでくる彼。
俺の額に張り付く髪を指で絡めとる。
その指先がそのまま頬をなぞり、顎まで到達し、ゆっくりと顎を持ち上げた。

『アンタが居て楽しかったよ。』

何も聞こえなかった鼓膜に飛び込んでくる彼の音声。
そして彼の唇が近づき、俺のそれと重なった。

最期の願いが、今、叶った。

とともに、最後の桜が散り、俺の心臓も鼓動を止めた。


×END×



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★後書き★

前作から随分経ってしまいました。
前作「さくら」のanotherです。
死んでいく方の気持ちも書きたくなって勢いで製作しました。
2011/1/12





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