その日、朝から空は快晴で、澄み切った風が人々の頬を優しく撫でていた。
 暫く続いた雨降りの後の東京にある有名な街には、買い物客が溢れ、歩道には久しぶりの太陽に、笑顔を浮かべた家族連れやカップルの姿が目立っている。
 その中でも一際目立つカップルが居た。
 しっかりと握り合った手と手。
 別段会話を交しながら歩いている訳ではなかったけれど、時折見つめあいニッコリとお互いを確認する二人の間に、入り込む隙など見当たらなかった。

 その日から7年前、二人はその街にある狭いライブハウスで出会った。
 まだ二人とも10代の頃の話である。
 彼も彼女も、その日、そのライブハウスに出演していた。彼は痛々しい歌を、彼女は刺々しい歌を、誰に向けるでもなく歌っていた。
 その日の内、二人は恋に落ちた。
 彼はレイ、彼女はニヤと名乗っていた。



 快晴のその日、二人はお互いのバイトの休みを合わせ街へ飛び出した。
 まず初めに、二人が通う楽器屋へ行き、ギターの弦とピックを買い揃え、そしてその足で、街にあるショッピングビルへと向かう。
 有名ブランドショップが名を連ねるそのビルには、沢山の人々が買い物に来ている。
 二人はどこへ行くでもなく、そういった買い物客に紛れ込み、エスカレーターで階上を目指す。
 数階上がったフロアーで、二人はエスカレーターを降り、一軒のブランドアクセサリーショップのショウウインドウにへばりついた。
 そこには沢山のネックレス、チョーカー、リングなどが並べられていて、買い物客の目を楽しませている。
 彼女がひとつのチョーカーを指差して、上目使いに視線を移すと、彼はゆっくりと彼女に振り返り、繋いだ手と手を更に、ぎゅっと繋ぎ直し、微笑みながら二度頷いた。
 彼女の指差した先には、ホワイトゴールドのチョーカーがディスプレイ用のライトに反射して、キラキラと輝きを放っていた。
 それはその店のオリジナル商品で、チョーカーに付属するハート型のペンダントヘッドに、好きなメッセージが刻めると言うもので、いつだったか彼が、アクセサリー雑誌で見つけ、彼女に見せていたものだった。
 二人は一時間近くショウウインドウの中のチョーカーを見つめ続けていた。

 暫くすると、彼の携帯の着信音が鳴り響いた。
 彼は、繋いだ手とは反対の手で器用に携帯を開くと、発信元を確認する。
 それは彼のバンドメンバーからで、彼は[ちょっとごめん]と言うような目配せを彼女にすると、繋いだ手を解き、彼女から離れた場所まで歩いていった。
 彼女は解かれた手をブラブラとさせながら彼が見えなくなるまで彼の背中を見送ると、さっきまで彼と見ていたブランドアクセサリーショップの入り口にくるりと向き直り、そっと足をショップの中に向かわせた。
 その顔には誇らしげな微笑がのせられていた。
 ちょうどその頃、同じビルの1階で、何が起こっているかも知らずに。



少し前、1階




 海外メーカーのコスメショップが立ち並ぶそこに男は居た。
 ぼさぼさの髪の毛を押さえ付けるかのように目深にかぶった黒いキャップ、毛玉の目立つ大きめの黒いパーカーに、黒いワークパンツという出で立ちの彼は、比較的華やかな買い物客が集うそのフロアーにはまるで似つかわしくなく、口元からは荒い息遣いが漏れている。
 男は、周りをぎょろぎょろと見渡しながらエレベーターに向かって後ずさりしていた。
 彼の左腕には、今にも叫びだしそうな形相の女、そして右手には抜身の日本刀が握られていて、その銀色に輝いていたはずの刃は、真っ赤に染まっていた。
 彼が後退りして来た道程に、周囲を赤く染めながら倒れている人が7人。
 まだ息のある者も居たが、周りの人間は彼の異常な行動に動揺し、困惑し、動くこともままならなくなったまま立ち尽くしている。
 そして、彼は、誰に捕らわれることなく1階で無人になった、階上へ向かうエレベーターに人質もろ共、乗り込んだのだった。


 彼は、バンドメンバーとの通話を終えると、携帯電話を閉じながら、先程まで彼女と手を繋いでいた場所まで戻ろうと踵を返し歩き始める。
 暫く歩くとその場所が視界に飛び込んで来たものの、彼女の姿は見つけられず、二、三度首を動かし辺りを見回した。
 だが、彼の顔が正面に向き直ると同時に、彼女がブランドアクセサリーショップから、足取り軽く出て来るのが彼の視界に入った。
 その瞬間、何かに押されるように足早に彼女に近づくと、彼女も彼を見つけ、その顔が満面の笑顔に変わる。
 お互いに近づいた彼と彼女はニッコリと微笑み合い、お互いの存在を確認すると、またしっかりと手を繋ぎ直し、その場から立ち去ろうとした、その時……
 フロアーの奥、エレベーターホールの方角から、女性のものと思われる叫び声が響き渡り、それを合図にしたかの如く、叫び声は数人のものへと変わっていく。
 手を繋ぎあった彼と彼女は、何事かと騒ぎの方角へと目を向けると、そこにはまるで蜘蛛の子を散らしたように走り始めた人達が居た。
 その姿はまるで何かから逃れようとしているようで、彼と彼女は更に奥へと目を向けた。
 そして二人の目に飛び込んで来た映像は、全身黒尽くめの男が振りかざした日本刀を女性に向かって振り下ろすシーンだった。
 切りつけられた女性は、首から大量の血を噴出し、その場に倒れこみのた打ち回っていて、一瞬にして女性の周囲は真っ赤に染まった。
 そうしている間にも、黒尽くめの男は、男性女性、関係なしに手にした日本刀で切りつけ、突き刺し、一歩一歩、彼と彼女の方へと近づいて来ていた。
 その顔は、切りつけた人々の返り血で赤く染まり、真っ白い白目だけが異様に浮き上がって見える。
 ふーふーと息が上がり、肩が上下に動いている。
 その異常な光景に彼と彼女はその場に立ち尽くす。
 が、男が着ていたパーカーを脱いだ瞬間、彼は彼女の手を引き、床を強く蹴って走り始めた。
 彼は確認したのだ。男の体に巻き付くそれを。
 そして瞬時に危険を察知した。
 男の体に巻き付く[それ]。
 ズボンのポケットから取り出した手の平に収まるサイズの物体。
 黒尽くめの男が何かを叫び始める。
 日本語ではない、どこか異国の言葉で。
 そしてその声が途切れたその時、男は手の平サイズの物体の上部を強く押した。



 逃げようとする人々を掻き分け、もう少しで階下へ向かうエスカレーターに乗れる、彼は彼女を自分の前方へ引きながら、後方に居るであろう黒尽くめの男を振り返った。
 そしてその瞬間に、繋いだ手を振り解き、彼女を下りエスカレーターに向かって強く突き飛ばした。
 驚いた彼女が彼に振り返ったその時、とてつもない地響きと共に爆音が鳴り響き、次に爆風、そして熱が二人を襲う。
 彼女は階下へ転がり落ち、彼と彼女は離れ離れになってしまった。



 転がり落ちた場所で、彼女は身体の痛みで目を覚ます。
 どれ位気を失っていたのかも検討がつかない。
 起き上がろうと試みるが、全身が痛みで悲鳴を上げて思う様には動けない。
 眼球だけを動かして辺りを見渡すと、そこには彼女同様、爆発により吹き飛ばされはしたものの、生き残った人々が蠢いていた。
 中には立ち上がり、倒れた人を救助する者も見えた。
 彼女は必死に目だけで彼の姿を探すけれど、そこに彼らしき姿は見つけられなかった。
 助けを呼ぼうと口を開く彼女。
 喉に激痛が走る。
 声を出そうとする。
 声帯は反応しない。
 彼女の声帯は、爆発による高熱で焼け爛れてしまっていた。
 涙がぽろぽろと埃だらけになった床に落ち始める。
 ひとしきり泣いた後、彼女は唇を噛み締めながら、痛む身体をゆっくりと時間をかけて起こしにかかった。
 ようやく上半身を起こした彼女は、上着の内ポケットを探る。
 切れた指先に当たるそれを確認出来た彼女は、少しだけ安堵の色を浮かべ、ゆっくりと息を吐き出すと、両足に力を込め立ち上がり、転がり落ちたエスカレーターを睨み付ける。
 そこは爆発の大きさを物語るように階上に接続されていた部分が崩れかけていて、とてもではないが昇る事は出来ないであろうことが見て取れた。
 彼女は、くりくりと頭を動かすと、エレベーターやエスカレーターが発達した現在では、忘れ去られている存在、大階段を見つけ、彼が居るであろう階上へと向かう為に、爆発であたり一面灰色に染まるフロアーをゆっくりと、痛む身体で前進し始めた。


高層ファッションビルに起こった爆弾テロ。
逃げ惑う彼と彼女。
一瞬の出来事だった。
それは、まさに青天の霹靂だった。
そこに居た人々は、誰もが想像すらした事は無かったろう。
まさか、自分の身にそんな事がふりかかるなんて。


 爆風によって吹き飛ばされた彼が目を覚ましたのは、爆発からさほど時間は経っていなかった。
 爆発、爆風、それらによる熱、そして爆音。全てが彼の身体に襲い掛かった。
 爆発により崩れかけた壁、粉々に砕けたショウウインドウのガラス、飛び散った照明の電球……。
 さっきまでそこはキラキラと七色を放っていた場所だとは思えない程、色彩を失い、辺り一面が灰色に染まっていた。
 その灰色の中、彼は、今にも壊れてしまいそうな程のダメージが見て取れるショーケースにもたれかかり、真っ直ぐ正面を見据えている。
 微動だにせず、ただ前を見据えている彼の瞳は、白濁していた。
 顔の皮膚は熱によって重度の火傷を負ったのか引き攣れ、少し微笑んでいるようにも見える。
 衣類は崩れた壁が砂埃となって纏わりつき、彼が愛用している白いライダースジャケットも灰色に変わっていた。
 彼の蹲る場所の真横の壁が、爆発の余震で揺ら揺らと揺らめきながら少しずつ崩れ始めている事に、彼は気がつかない。
 瞳や露出した部分の皮膚だけでなく、彼の鼓膜は爆風で吹き飛ばされてしまった様で、使い物にならなくなってしまっていた。
 しばしその場で息を整えた後、彼は手探りで埃だらけのフロアーを這い蹲り始める。
 あの時、あの爆発の瞬間、繋いだ手を離して突き飛ばした彼女を探す為に。
 数メートル進んだ先に、柔らかい物体を彼は指先に感じ、何だろう?とその手で弄ってみる。
 それは、彼同様、逃げ遅れた買い物客の焼け焦げた遺体であり、視界を失った彼は直感でそれを感じ取り、遺体に触った事に少し驚いて身体を硬直させてしまったものの、数センチ差で彼もそうなっていただろう事を読み取ると、見えていないその瞳を閉じた。
 彼女に会えますように。彼女が生きていますように。
 そしてその瞳を開けると、また白濁した瞳を真っ直ぐ前に見据えて、床を這い蹲り始めたのだった。



 彼女の耳に人の呻き声と少しずつ壁が崩れ落ちる音が届いていた。
 それらに対して、恐怖が無かった訳ではないが、ただひたすら階段を昇っていく。
 普段ならば、ほんの数十秒で昇りきる階段だったが、今の彼女には永遠に続くかの様に思われた。
 それでも一歩一歩、進んでいく。
 そうこうしている内に、身体の痛みが和らいだように思えた彼女は、足に力を込め、力強く階段を蹴り上げる。
 少しでも早く彼が横たわるであろう階上へ向かおうとしていた。
 数十分の階段との格闘の末、彼女の視界に、彼と見入ったブランドアクセサリーショップのショウウインドウが飛び込んで来る。
 すでにショウウインドウのガラスは跡形も無く吹き飛んでいたが、ショップの看板だけは辛うじて無事だったらしい事が観て伺え、彼女はそこを目指し、足を運び続けた。



 暫く手探りで床を這い回った彼は、少しずつ身体の痛みに気がつく。
 どうやら、肋骨が数本と左下腿骨が折れているらしい。
 彼は、前進する事を一旦休み、その場に座り込むと、見えていない目で辺りを見回す為、頭を動かし続ける。
 彼は感じていた。彼女の香りを。だが、見えない今となっては、易々と彼女の存在を見つけ出す事は困難な事も理解していた。
 少し休んだら、また探そう。きっと見つかる。彼は、俯き、身体の痛みを誤魔化すかのように息を吐き出した。
 瞬間。
 何かが火傷でヒリヒリとした痛みを感じさせる頬に触れる感触に、彼は竦み上がる。だが、そこに触れる温もりと、漂ってくる香りは彼の記憶の一部に残っていて、考える前にその名を呼んだ。
―――――ニヤ。



 彼と手を固く繋ぎあったまま見入ったショウウインドウに辿り着いた彼女は、深く深呼吸を繰り返した。
 空気は埃に汚れていて、ライトの吹き飛んだそこは薄暗く、彼女は目を凝らし辺りを見渡す。
 黒尽くめの男が吹き飛んだ辺りには、何も残っては居ない。その周囲には円形に残骸が散らばり、そのまた周辺に灰色に染まる横たわった人達がいた。
 彼女はゆっくりとそこから自分が転げ落ちたエスカレーターへと首を動かし、そこからその反対側へと視線を流した。
 そして、そこに見覚えのある金髪と白いライダースジャケットを見つけ、刹那、彼女は表情を崩し、身体の痛みを忘れ、駆け寄っていった。
 床に座り込み、頭を動かしながら周囲を見渡している彼の前に駆け寄りしゃがみ込むと、音声にならない声を発する。
―――――レイ?
 声を失った彼女の声は、彼には届かず、視界と鼓膜を失った彼に、彼女の姿は見えず聴こえず、彼は少し、怯えた様に後ずさりする。
 彼女はゆっくりとした動作で、彼の頬に触れる為に手を伸ばすと、火傷をした部分にそっと触れていく。
 その手は微かに震えていて、彼にもその振動は伝わっていった。
―――――ニヤ。
 彼女は自分同様、彼もまた声帯を失ってしまっている事に気が付くと、触れていた指先に力を込め、自分である事を強調し、彼に自分の存在を伝えた。
 そして、彼の埃だらけになった手を取ると、掌を自分の口元に当てた
「レイ?私だよ?ニヤだよ。やっと逢えたね。」
 彼は、白濁した瞳を揺らしながら、彼女が居る方向へ顔を向けると、引き攣った頬で笑顔を見せ、瞬きを二つ繰り返した。
 彼女は、内ポケットから空色の包みを取り出すと包装を解き、中からキラキラとした物を取り出し、彼の掌にそれを乗せる。
「お誕生日、おめでとう、レイ。」
 それは、爆発が起こる直前まで、彼と見詰めたショウウインドウの中、輝いていたあのチョーカーで、彼女はこの日の為、バイトの日数を増やし、頑張ってお金を貯めていた。
 彼は、掌に乗せられたそれが何なのか気が付くと、驚きを隠せない様子で瞬きを繰り返し、口を開けては閉じ、何かを言おうとするのだが、言葉も見つからず、そして声にもならないまま、何度も掌にあるそれを白濁した瞳で見ようとしていた。
 そっと彼女が手を伸ばし、再びそれを自分の手に戻すと、彼に抱きつくようにそれを彼の首に巻きつけた。
「あ、りがと。」
 彼が口を開く。
 けれども声は無く、空気だけが彼女の耳に届く。
 再び彼の掌に向かって、彼女が語りかけ始める。
「ねぇ、レイ……私達、声、無くなっちゃった。ヴォーカリストなのに、声無くなっちゃった。もう、生きていても意味ないね。レイ、もういいよね?いいんだよね?」
「うん。もういいんだ。」
 彼女は、彼の白いライダースジャケットのポケットから、彼が常に持ち歩いているナイフを取り出すと、キンっと音を立てて銀色に輝く刃を立てる。
「大好きだよ、レイ」
 彼女は、もう一度、彼にそっとくちづけると、彼の首に向かってナイフを突き立てた。
 生暖かいレイの血液にまみれながら、彼を胸にかき抱き、少しずつ力が抜けていく彼の大きな手にナイフを握らし、彼女自身の首に刃を食い込ませた。
 


 抱き合ったままの姿、噴き出す赤と赤。
 灰色に染まった世界に、色が戻った瞬間だった。


×END×



--------------------------------------------------------------------------------



★後書き★

とある日。悲しくて切ない夢を見ました。
今回は、それを書き残したかった。それだけです。
本当は、もっとシンプルな感じだったんですが、広げてみました。
物語の中で、主人公の名前は変更していますが、夢の中では実在人物達が蠢いていたんですよ。
2011/11/9





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送